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あさがお制作見聞録① 『夕焼けと加瀬さん。』

あさがお制作見聞録①
『夕焼けと加瀬さん。』

文:制作進行 成田和優

「日々何があったか、あるいは何気ないようなことでも、『あさがおと加瀬さん。』を作っている時期にあったことを記録しておいてくれませんか」

ふと佐藤監督が言った。いつものようにとても丁寧な言葉遣いだった。
4月14日の午前2時ごろ、監督を社用車でご自宅まで送る道中のことだった。

『あさがおと加瀬さん。』(以下、『あさがお』)の3話は私が初めて制作進行を担当した作品だ。
状況はめまぐるしく変化し加速し、周回遅れで付いていくことすら困難だった。
文字通り必死だった。
家に帰り着く頃(あるいは会社の倉庫に簡易なマットレスを敷いて横になる頃)には疲れ果て、束の間泥のように眠った。

「曜日感覚が溶けていく」

誰が言い出した表現なのか覚えていないが、今日は何曜日なのかという確認を笑いながらしばしば制作進行同士で行ったものだ。

この文章を書き始めたのは完パケの翌日の午後3時だが、徹夜明けの午後3時を除けばこの時間帯に覚醒しているのは随分と久しぶりのことに思う。
「曜日感覚が溶けていく」ことは比喩ではなく、私にとって『あさがお』の制作は、特にその後半は切れ目なく連続したもので、カレンダーが示す24時間の区切りとは無縁のものだった。(実際のところ夢の中にすら出てくるのは『あさがお』の制作に関連するもの、あるいは象徴するものばかりだった)

そんなダイナミックな時間の流れで作られた作品だから「日々何があったか、あるいは何気ないようなこと」は1週間もすれば忘れてしまうかもしれない。
しかし今ならまだ、思い出せる。
『あさがお』は佐藤監督を筆頭とするメインスタッフの緻密なアイディアと洗練された技術によって作られた作品である。
と、同時に多種多様なひとびとの「何か」や「何気ないこと」が山程積み重なってできた作品でもあることを。

残念ながら「一日の終わりにその日を振り返り記録する」ような高等なことはあまりできなかった。
それでも時折、「何か」「何気ない何か」をスマートフォンに走り書きする程度のことはできた。

この見聞録はそんな、些細で瑣末でありながら、とても特別な出来事を記録したものである。