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あさがお制作見聞録⑩ 『砦』

あさがお制作見聞録⑩
『砦』

文:制作進行 成田和優

初めに『あさがお』3話のカット番号224と225について話す時間をほしい。
このカットはやんごとなき人々によって予告に使用されることが決定され、プロデューサーを通じて「優先カット」であると伝えられた。2月に入ってすぐのことだったと思う。
右と左程度のことしか分からなかった私は、
「他のあらゆるカットに優先し1時間でも早く当該カットに色を付けよ」
という指示を素直に受け止め、当該カットの原画担当者に同様の旨を伝えた。
彼女は素晴らしいスピードでレイアウトを上げ(彼女は高品質高速度を維持し続けた。これまでの仕事ぶりも同様だったと多くから聞く。これからも彼女に命を拾われる制作進行及び作品は後を絶たないだろう)、カットは私の手元にやってきた。
ここから私は初めて「アニメーション」の誕生という事件に立ち会うことになる。

演出によって芝居の修正・加味・補足が行われ、作画監督によって演出指示の反映、キャラに似せるための修正、アニメとしてより正しい、あるいはその作品らしい動きへの修正が行われ、総作画監督によって全話数を俯瞰した上での画の決定が行われる。
という聞いたような話をするのではない。私が目の当たりにした事件についての話である。
作監修正が乗ってからあとのことは、控えめに言っても向こう5年は忘れられない。

「よい線」を入れるとは何だろうか。
何人かに尋ねたが、絵心の無い私が正しく理解するには至らなかった。
そこで本質を理解するのではなく、概念としてこのようにふわりと考えることにした。
円を想像する。
この円は作画用紙に「線」を入れる際の選択肢の数量を表す。
入れる線の座標的な位置から、線の強さ、太さ、速さ、硬さ、などの選択肢である。
つまりこの円は無限の広がりがある。
円は中心に近づくに従って黒色にグラデーションを帯び、中心点は完全無欠な黒になる。グラデーションを含め「黒味」の領域はとても小さい。
線を入れる行為とはこの円の中心に向けて矢を放つ行為であり、刺さった矢の場所が黒ければ黒いほど「よい線」である。

誰が見ても「黒」い領域に矢を放つことができたとしても、完全な中心点を射抜くことはできない。放たれる矢は現実のそれのように面積を伴っているわけではないからだ。言い換えれば、この矢は想像がつかない程細いものだと思えばよい。
よっていくら中心を射抜いたように見えても拡大すればズレている。
それがナノメートル以下だったとしても、ズレは免れない。人間の所業である限り。
しかしそれでも矢を放ち続ける。このように「線を入れる」とは果てのない行為である。

カット番号224、225に対して作画監督が放った矢は、しかしながら、私の目からみれば中心を射抜いた。
山田の髪の芳香が匂い立つような、物凄い矢だった。息が止まるような。電子顕微鏡で確認しなければズレが確認できないような。
それを受けて総作監はどんな矢を放つのだろうか? いや、これ以上の中心などあるのだろうか?

結論からいえば総作監、坂井久太から放たれた矢は、画の描けない私が当座凌ぎで考えた曖昧な概念を砕くものだった。
受け取った総作監修正にはシンプルに、強力に、山田と加瀬さんがそこに生まれ、そこに居ただけだった。
円も中心も黒も関係ない。
坂井久太が放つ矢それ自体が「あさがおと加瀬さん。」そのものだった。理屈ではない。
震えた。

当該カットはYouTubeで公開している本予告の、およそ1分8秒から1分10秒にかけて確認することができる。
しかしながら、たかが鉛筆と紙による生命の誕生を目の当たりにした感動は私だけのものである。

本題を始める。作品の「完成」について少しだけ話したい。

「完成」とは特定のカットを魔法のような技術で原画に起こすことでは断じてない。
延べ800に及ぶカットを十全に原画にし、動画にし、仕上げし、美術を起こし、撮影し、声を付け、音を付け、編集して「あさがお」の世界をフィルムに実現することだ。
どこが欠けても完成しない。
従ってどのセクションも等しく、巨きな役割と重い責任を負う。
にも関わらず現場に接したあらゆる者が言うだろう。

「総作監 坂井久太がいなければ『あさがお』は完成しなかった」

入れたものは必ず、入れた分だけ翌日に上がりが出た。
ある時は様々な不手際と不幸が重なり、各話合わせて一度に100カット近く入れた。
もう駄目かもしれないと思った。
翌日に半分が、翌々日に残りの半分が上がった。奇跡ではない。人間業である。ただし、その極北の。

坂井久太の手によって生まれたのは山田や加瀬さんだけではない。
作品を完成させるための「時間」もまた、坂井久太によって生まれた。
もちろんその全てがではない。
しかし紛れもなく、多くのものが坂井久太によって守られ、多くのものがあるべき形で生まれることができた。

ここからは取るに足らない私の回想である。
ある時、1時間でも早く総作監上がりを受け取らなければならない事情があった。
21時に素材を渡したにも関わらず、24時を回った頃には上がりの連絡があった。
上がったはいいが、坂井久太が席を置くスタジオのビルは既に施錠され外からは閉ざされている。
その旨を伝えると、
「じゃー入り口まで持ってきます」
そう言ってすたすたと現れ、扉を開け、はいこれ、と渡された。
「じゃーお気をつけて」
すたすたと去っていった。
そんな夜が3度あった。

あの固い扉を開けてくれた姿、そして扉の向こうの、次のカットにすたすた向かう姿もまた、向こう5年は忘れられない。